気づきをくれる盟友
久しぶりに再会した。
NLPで知り合った盟友とも言えるだろうか。
彼女たちは”気づき”をくれる。
それを改めて気づかされた気がした。
貝になり外界と距離を置いていた時もそっとしてくれていた。
たぶん、何があった?と聞きたかっただろうけど。
時期が来て、再会を果たすけれど、冒頭は正直接し方が分からず流れに委ねていた。
こんな感じだったなと懐かしく思いながら、徐々に慣れていった。
基本、聞かれたことに答えるというスタンスながら、ちょいちょい日頃の想い・・・とりわけ仕事のことで感じていた想いを吐露していく。
すると、分かるわかるとペーシングしてもらいながら、否定するわけでもなく、かといってただ聞くことに専念するわけでなく、ふいにキーワードを落として”気づき”をくれるのだ。
力の変更、人を変えるなど天地をひっくり返すくらい無理なことは分かっている。
ただ、おれが今までやろうとしてきたことは無意識にそんなことだったのかもしれない。
もちろん、目の前にある課題を明確にし取り組むことはマストだ。
変更するのは、その手段やプロセスなのだ。
そして、臨み方。
今までは、嫌なことやこれ以上会社に期待しても無理だと思うことにぶち当たると諦めて環境を変えてきた。
職場という名の”環境”を変えて。
それも選択肢のひとつだけれど、今なら・・・年齢を重ねていくごとにある意味、”経験”を積んだことで対応力が増した現在なら対処できることが増えたと自負している。
ただ、そこに欠けていたと気づかされたことがあった。
仕事への臨み方。
オフでも仕事にエネルギーを傾注してきた現状。
このまま現役を引退したときに残るものは・・・人生を仕事に捧げてきたという誇りのみだろう。
整体などのヘルスケアも仕事をするためのコンディション調整。
加齢とともに衰えが否めない肉体をメンテナンスするための、すべては仕事の為。
それは本当の意味で”生きている”と言えるだろうか。
おれの”心”はどうしてる?
置き去りのままだったのでは・・・
仕事にエネルギーを傾注してきたからこそ、そこが報われなかったときの反動で心が折れて、”仕事に殺される”と錯覚する。
これがおれのマイナスストラテジーだった。
少なくとも、転職を繰り返さず腰を据えてひとつの場所で勤続している人々はメンタルケアも怠らない。
釣りでも、運動でも、自分が心を休める時間を・・・心をリカバリーしてむしろ愉しめることに時間を使っている。
いわゆる、オンオフの切替、リセットをしている。
プライベートで心がワクワクすることに触れる。
心を育むこと。
これを失わないように、臨み方を改めるのだ。
そして、またも気づきを与えてくれた彼女たちに感謝だ。
今日も良い日だっ。