きちんとお礼が言える
2か月前に会った時より成長を感じた。
娘は少しずつ、一歩一歩着実にできることが増えていた。
兄姉の買い物中も、自分が欲しいものがないか探し始めて退屈な時間を有意義な時間に変えようとしていた。
自分のターンでゲーセンに行った際は、目の前にプレーしている人を見ると、誰に何を言われるでもなく、きちんと順番を待っていた。
焼肉屋に連れて行っても、大抵柔らかい部位の肉しか食べなかったのにタン塩にチャレンジしていたし。
極めつけは、きちんと「ありがとうございました」とお辞儀をしてお礼が言えるようになっていた。
これが一番嬉しかった。
もしかすると、どんな成長よりも嬉しいかもしれない。
”ありがとうございます”がちゃんと言える人間になってほしい・・・
そう思っていたから。
これからも色々なものを見て、色々なものに触れるだろうけど、これは忘れないでいてもらいたいな。
次会う時は、どんな成長した姿が見れるのだろうか・・・
楽しみがまた増えたな。
今日も良い日だっ。
インフルエンザワクチン接種
今週中頃にと思っていた、インフルエンザワクチン接種。
なかなか行けずに休みの今日ようやく打てた。
毎年打ってて、コロナワクチンのような副反応を気にしていなかったけど、今回はふと脳裏をよぎった。
なので、午前中に済ませて午後からは大人しく静かに過ごした。
大人しくと言っても、いやだからこそか、ミーティング資料を作成することにした。
おかげで完成させることができたし、現時点で副反応もない。
なぜ副反応が脳裏をよぎったのかは分からないけど、コロナもインフルも備えられることは万事抜かりなくしておきたいからひとまずはホッとした。
明日このまま何事もなく仕事に向かえることを祈る。
今日も良い日だっ。
痛い・かゆいなどと言ってられないが・・・
皆、痛いところや古傷を抱えていたりするわけで、自分だけがそれを正当化して楽をしていいわけがない。
疲労骨折している足首はハードな動きをすればするだけその反動と代償は大きい。
夜アイシングして回復しても翌朝仕事でハードに動けば疼き痛みが襲う。
その繰り返しだ。
それに加えて、最近はこの前痛めた腸の調子が芳しくない。
午前中も出庫しながら急に腹部が痛くなり、なんとか堪えながら4人分の出庫を行った。
昨日、先生からはよく噛んで食事をとるようにと言われたけど、もう癖づいているのか10回咀嚼することすら難しく飲み込んでしまっている・・・
そのせいか、消化に時間がかかり、しかも小走りするもんだから腹部を痛める?!
少し前までそんなことなかったのに、これって体質が変わってきているっていうことなのか・・・
いずれにしても、この状況でリタイアするわけにはいかない。
腹部も足首も違和感しかないけど、ダラダラやらずにやるときはやり、休む時にしっかりと回復させて、あるいはどうしようもなければ病院に行って診察・治療して皆に迷惑を掛けないように。
今日も良い日だっ。
経過
あの胃腸の痛みは消化を促す薬で終末を迎えた、と思う。
エコーで確認すると、小腸が張っていると言われたものの、胃から出血しているなどという最悪の事態は避けられたから。
現に処方箋を服用してからは症状は落ち着いてきた。
けれど、油断は禁物か。
食のバランスだけでなく、周囲が懸念していた”ストレス”によって胃腸が蝕まれることを気をつけなければ。
一応、血液検査も受けたから今週末にまた聞きに行くとするか。
今日も良い日だっ。
ちょっとした異変?!
思い当たる節はあったけれど・・・
今日、身体に異変が起きて半休であがった。
胃腸、特に胃。
感覚的には、食あたりのような気がするけど、2週間前くらいにも同じことがあったしな。
今は胃腸薬を飲んで落ち着いてきたけれど、職場の方々には”バディのストレス”だと言われる始末・・・
そう思うなら、適切な対応をしてもらいたいところだ。
バディは変わらないからと半ば諦めている。
改革を断行するなんて、難しいことなんだろうか。
明日はもともと振替休日にしていたので、病院に行ってはっきりさせよう。
今日も良い日だっ。
コロンワクチン4回目
先週末に接種したコロナワクチンの4回目。
今回は悪寒も頭痛も微熱もなく、上腕痛で済んだ。
1回目以来じゃないかな。
もしかすると、一回目よりも軽かったかもしれない。
3回目が結構しんどかっただけに安堵。
やはり、モデルナではなくファイザーだったからかな。
これが4回目もモデルナにしていたら、もしかすると結果はちがったのかもしれない。
今、おれがコロナに罹って皆に迷惑を掛けるわけにはいかないし、最善を尽くして逆に皆を助けられるようでなければ・・・
ひとまずは安心。
今日も良い日だっ。
気づきをくれる盟友
久しぶりに再会した。
NLPで知り合った盟友とも言えるだろうか。
彼女たちは”気づき”をくれる。
それを改めて気づかされた気がした。
貝になり外界と距離を置いていた時もそっとしてくれていた。
たぶん、何があった?と聞きたかっただろうけど。
時期が来て、再会を果たすけれど、冒頭は正直接し方が分からず流れに委ねていた。
こんな感じだったなと懐かしく思いながら、徐々に慣れていった。
基本、聞かれたことに答えるというスタンスながら、ちょいちょい日頃の想い・・・とりわけ仕事のことで感じていた想いを吐露していく。
すると、分かるわかるとペーシングしてもらいながら、否定するわけでもなく、かといってただ聞くことに専念するわけでなく、ふいにキーワードを落として”気づき”をくれるのだ。
力の変更、人を変えるなど天地をひっくり返すくらい無理なことは分かっている。
ただ、おれが今までやろうとしてきたことは無意識にそんなことだったのかもしれない。
もちろん、目の前にある課題を明確にし取り組むことはマストだ。
変更するのは、その手段やプロセスなのだ。
そして、臨み方。
今までは、嫌なことやこれ以上会社に期待しても無理だと思うことにぶち当たると諦めて環境を変えてきた。
職場という名の”環境”を変えて。
それも選択肢のひとつだけれど、今なら・・・年齢を重ねていくごとにある意味、”経験”を積んだことで対応力が増した現在なら対処できることが増えたと自負している。
ただ、そこに欠けていたと気づかされたことがあった。
仕事への臨み方。
オフでも仕事にエネルギーを傾注してきた現状。
このまま現役を引退したときに残るものは・・・人生を仕事に捧げてきたという誇りのみだろう。
整体などのヘルスケアも仕事をするためのコンディション調整。
加齢とともに衰えが否めない肉体をメンテナンスするための、すべては仕事の為。
それは本当の意味で”生きている”と言えるだろうか。
おれの”心”はどうしてる?
置き去りのままだったのでは・・・
仕事にエネルギーを傾注してきたからこそ、そこが報われなかったときの反動で心が折れて、”仕事に殺される”と錯覚する。
これがおれのマイナスストラテジーだった。
少なくとも、転職を繰り返さず腰を据えてひとつの場所で勤続している人々はメンタルケアも怠らない。
釣りでも、運動でも、自分が心を休める時間を・・・心をリカバリーしてむしろ愉しめることに時間を使っている。
いわゆる、オンオフの切替、リセットをしている。
プライベートで心がワクワクすることに触れる。
心を育むこと。
これを失わないように、臨み方を改めるのだ。
そして、またも気づきを与えてくれた彼女たちに感謝だ。
今日も良い日だっ。