大雨警報
大雨警報・警戒レベル4が発令されたことを受けて、仕事を切り上げて早めに退社しました。
昔だと警報が出たから帰るなんてことは考えられなかったけど、西日本豪雨災害が変えたんでしょうね。
あれから2年です。
あの惨劇は忘れられない。
自分自身、家が全壊したわけでも避難所生活をしたわけでもありません。
ただ、あんな経験は二度としたくないのです。
暴風雨のなか配送に出て、どの道が通れるのだろうか、渋滞を軽減できるのだろうかと右往左往しながら島根県を目指して走り続けて、ようやくたどり着いて島根から広島に帰ろうと高速乗ったら金城PAで立ち往生。
島根で配送している間に通行止めになっていたんです。
夜中の2時から日が明けて朝になり…仮眠もまともにとることもできず、いつ通行止めが解除されるのか分からないまま不安と恐怖だけが先行していきました。
下道で帰る選択肢もありましたが、土地勘がない所であの豪雨が降ったあと…山越えしようとして土砂が崩れてたり倒木がある可能性も否定できない…
そのリスクを考えたら待機して浜田道で帰るほうが安全だという結論に達し、ひたすら待ちました。
これはもう1晩ここで迎えることになるのかと思っていたところ、通行止め解除の連絡が入りました。
実に12時間。
広島に帰ってきても可部方面はダメだと判断し来た道(あさひが丘経由)で帰ることに…
帰ってきてからも仕事は続き、今晩の配送はない旨を手分けして店舗に連絡していきました。
次の日も昼から出勤して岡山へ新幹線で通い袋を届けて、帰ってからも店舗へ連絡…
その次の日は夜勤で呉配送。
配送休み明け初日で、呉に向かう道路は熊野道路のみという状況で大渋滞。
呉市内や島の状況が全く分からないまま、走り続けました。
どこが通れるのかも分からないまま。
呉市内はそうでもなかったですが、音戸や安浦、川尻等は倒木や道路の陥没、全壊・半壊している世帯を目の当たりにしました。。
呉コースの店舗すべてを配送することはできず、案の定、帰社が午後に…
それからしばらく時短配送が続き、安全な道と渋滞を最小限に回避できる道を探す戦いが始まりました…
もちろん、これがきっかけでドライバーが泣くことがないような運行管理・配送スケジュール、リスクマネージメントを考えるようになったけど、繰り返しになりますが、二度とあんな思いをしたくないし、あんな経験をしてほしくないとも思います!
…あの日々を風化させてはいけない!
そう心に刻んでいます。
今日はかなり長々となりましたが、最後まで御拝読頂き、ありがとうございました!