「阿吽の呼吸」という非言語で成立してしまう怖さ
言葉を交わさなくても成立してしまう仕事があるんでしょうね。。
軽作業系の仕事。前の仕事もそうですし、今の仕事もそうなのですが、つくづく感じます。
最初にある程度の説明を受けて、実際に作業に入ります。
上手くいかなかったり、違っていたらそこで指摘やアドバイスを受けるし、こうしてほしい、逆に自分はこうしたい、だとかお互いが要求し合う。このタイミングで来たらこうしようとか、相手が少しテンポが遅れたら自分は他に数秒でできる手すき作業を探す。自分が遅れた場合も然りで今度は相手が同じ行動をする。
こうして、数秒も無駄にしない「阿吽の呼吸」を生み出して生産性を高めるのです。
これが所謂、「黙々作業」と言われたりする仕事のあるあるなのかもしれません。
ただこれ、自分のタイミングでしか動けず意見を主張しない人同士だと成立しないんです。
終始、噛み合わず生産性が上がらない。
どちらかが相手のタイミングに合わせて対応できる人なら、合わせるその人はしんどいけれど回せていけますがね。
この「阿吽の呼吸」って所謂、非言語にあたると思うのですが、これって怖いなと思ったのです。正確には思い返した?かな。
確かに作業の生産性を高めるうえではあったほうが良い場合もあります。
ただ、意思疎通の側面からするとどうでしょうか?
「言わなくても分かる。」
「言葉を交わさなくても分かる。」
本当に??
相手の想いを確認することなく胡坐をかいているといつしかそれは、分かっている「はず」に変化するのではないでしょうか?
擦れ違う、噛み合わない、そして、相手の気持ちが離れていく・・・そんな日をいつか迎えるのです。公私ともに。
ちょっと昔のことを思い出してしまいましたね💦
娘の母親とのことを・・・
あの時のことがあるから教訓としなければならないのに、忘れてしまっていました。
言葉は発しないと相手に伝わらないのです。
お互いに想いをぶつけ合って一度説得できたからといって相手は納得して「大丈夫」ではないのです。
相手のリソースを置き去りにしていては、相手は本当に納得するわけがないのだから。
あの過ちを二度と繰り返してはならない。
「阿吽の呼吸」が生み出す怖さ・・・内省です。